「今月の国特集」、第3回はエクアドルです。
皆さんは、エクアドルというとどのようなイメージがわきますか。南米の赤道直下の国、バナナ、パナマ帽、ガラパコス諸島・・・。実際にエクアドルはいろんな「顔」を持っています。
今回はエクアドルの歴史や料理、そして貧困事情やマイクロファイナンス事情について特集します。

目次

  1. エクアドルの概要
  2. エクアドルの歴史
  3. エクアドルの料理
  4. エクアドルの貧困事情
  5. エクアドルのマイクロファイナンス事情

エクアドルの概要

エクアドルの正式名称は、エクアドル共和国。エクアドルとは、スペイン語で「赤道(Ecuador terrestre)」という意味です。首都はキトですが、最大の都市は、海岸地方のグアヤキル。国の面積は、25.6万平方キロメートル(日本の本州と九州を合わせたくらいの広さ)で、南米で3番目に小さい国です。コロンビアとペルーに国境を接しており、西側は太平洋に面しています。この国土に、6310 メートルのチンボラソ火山をはじめ、多くの高峰を擁するアンデス高地部(シエラ)、海岸地方(コスタ)、東部アマゾン(オリエンテ)、そして本土から約 1,000km離れた太平洋上に浮かぶガラパゴス諸島と、変化と多様性に富んでいます。

エクアドルには、また、世界遺産が4つ(文化遺産2件、自然遺産2件)あります。文化遺産は、キト市街と、サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区。自然遺産は、ウミイグアナなどの固有種で有名なガラパゴス諸島と、サンガイ国立公園です。

エクアドルの人口は、1,400万人(2010年、国家統計調査局)。

いわゆる「人種」の大まかな割合ですが、メスティソ(先住民と白人の混血)が77%、先住民7%、白人系10%、ムラート(先住民と黒人の混血)3%、黒人2%(センサス、2001年)となっています。(ただし、文献や調査時期によっては、比率や、人種区分が異なる場合があります。16世紀以降あまりに混血が進み過ぎていることや、差別の元になるということで、厳密な調査は不可能・意味がないという識者の声が少なからずあります。)

なお、エクアドルにおける在留邦人数は、434人(2009年)、在日エクアドル人数は、219人(2008年)となっています。

言語は、公用語としてはスペイン語のみですが、インディヘナにはケチュア語やシュアール語を話す人もいますし、先住民によって多種多様な言語が使用されています。特にケチュア語は、学校でもスペイン語と一緒に教えているところもあります。15歳以上の人口の識字率は91%(男性:92.3%、女性 89.7%)となっています。

エクアドルの歴史

先インカ期

現在のエクアドルの土地では、約1万2千年前頃に人類が生存していたことが確認されており、それらの人々は、かつてアジア・ユーラシア大陸にいた人たちが、波状的にベーリング海峡を伝って南米アメリカ大陸に渡ってきたものだというのが定説になっています。紀元700年から16世紀半ば頃までを統合期と呼び、身分制、首長制を基盤として、祭祀センターを備えた社会構造が存在していました。

インカ帝国時代

15 世紀半ばになると、クスコを拠点に急速に拡大していたタワンティンスーユ(インカ帝国)の皇帝トゥパク・インカ・ユパンキの遠征によって当地が征服され、キトはクスコに次ぐ帝国第二の都市として栄えました。1527年に皇帝ワイナ・カパックがスペイン人によってもたらされた疫病で病死すると、キトで育った皇帝アタワルパは皇位継承権などを巡ってクスコのワスカルと戦い勝利しますが、疲弊した帝国にまもなく上陸するスペイン人との戦いを余儀なくされることになります。

スペイン植民地時代

1531年にスペイン出身のコンキスタドールを率いてインカ帝国に上陸したフランシスコ・ピサロは、優れた火器や馬を用いてインカ人との戦いを有利に進め、1532年にアタワルパを捕虜にし、1533年にタワンティンスーユを滅ぼしました。スペイン人による征服後、現在のエクアドルに相当する地域はペルー副王領に編入され、リマの統治を受けることになりました。

疫病や、征服による酷使により、インディオ人口は植民地時代に大きく減少し、労働力を補填するためにアフリカから黒人奴隷が連行されて来ました。その一方でスペイン系のクリオージョが社会の寡頭支配層となり、メスティソ(混血者)や、故郷の土地を離れて流浪するインディオなどの境界的な階層も出現するようになりました。また同時に、住民のカトリック化も進みました。

独立戦争

19世紀に入ると、スペイン情勢の激変(1808年のナポレオン侵入による混乱)を背景に、南米各地に抵抗運動の波が生まれます。

1809 年8月10日にキトの革命評議会により自治評議会が結成され、「独立宣言」がうたわれます。この自治運動はペルー副王アバスカルの差し向けた王党派軍により鎮圧されましたが、1810年代に入り、解放軍がエクアドルに迫ると各都市は再び独立を宣言し、1822年5月24日、ピチンチャの戦いでスクレ将軍がスペイン軍を破ると、最終的に現在のエクアドルとなっている諸地域の解放が確定しました。

< 開放戦争の2大将軍(ボリーバルとサン・マルティン)が会談した記念碑(グワヤキル) >

(クリックで拡大します)

出典:http://clioperu.blogspot.com/2010/12/descripcion-del-encuentro-entre-san.html

こうして解放された、現在のエクアドルに相当する地域は当初、南部地区(Distrito del Sur)としてコロンビアの一部に組み込まれましたが、コロンビア内での内乱や混乱によりベネスエラが独立を宣言すると、1830年5月13日に南部地区もコロンビアからの独立を宣言し、同年8月10日にフアン・ホセ・フローレスが初代大統領に就任します。この時、キト共和国と名乗ることは他の諸都市の反発を招くことが予想されたため、キト直下を通る赤道から名前を採り、国名はエクアドルという名前になりました。

保守支配と自由主義革命

独立後しばらくは戦争や、保守派と自由派との間での内戦など混乱が続きましたが、1861年にガブリエル・ガルシア・モレノが政権を掌握すると、モレノは以降15年に渡る独裁政治を行います。モレノ時代にはカトリック教会を軸にした保守政治が進み、学校、軍隊、鉄道の整備や、インディオ共有地の保護などがなされます。この頃からエクアドルはカカオを中心としたプランテーション経済により、世界経済に従属的な立場で組み込まれていき、コスタでのプランテーションの発達は、自由主義を求めるグアヤキルの資本家層の権力の拡大をもたらすことになります。

モレノが 1875年に暗殺されると、再び保守派と自由派による争いが起こりますが、自由主義者のエロイ・アルファロが大統領として実権を握った1895年以降、 1925年までは自由主義的な政治が行われ、国家の世俗化が進みます。

ポプリスモと軍政

1925 年にクーデターが発生し、政治は混乱。さらに1929年の世界恐慌によりエクアドル経済が大打撃を受けると、エクアドル政治に対する大衆の声が強まってくるようになりました。1933年にポプリスモ(ラテン・アメリカにおけるポピュリズム)政策に訴えたホセ・マリア・ベラスコ・イバラが労働者からの圧倒的な支持を得て大統領に就任。ベラスコ・イバラは1930年代から70年代にわり、5度大統領になりましたが、何度も軍事クーデターや政治対立で失脚しました。

1941年にはペルー軍がアマゾン地域を侵略し、エクアドル・ペルー戦争が勃発。エクアドル軍はこの戦役に敗れ、アマゾン地域の20万から25万km²の領土を失うことになります。第二次世界大戦後は、バナナブームにより一時的に経済的な発展が見られますが、1960年頃から政治的に不安定な情勢が続き、ベラスコ・イバラや軍人が大統領になる時期が続きました。

1972 年、ロドリゲス・ララ将軍が軍事クーデターを起こし、軍事評議会による革命的国民主義政権が樹立されました。ロドリゲス将軍は外国資本、特に開発が進められていたアマゾン地域の石油の国有化を通してエクアドル経済の自立的発展や、農地改革を行い、キューバや東側諸国との友好関係を築き、1973年には石油輸出国機構(OPEC)に加盟するなど自主外交が行われました。

民政移管以降

1979 年にキリスト教民主主義の人民勢力結集党からハイメ・ロルドス・アギレーラが当選し、軍事政権から民政移管します。1984年の選挙でレオン・フェブレス・コルデーロが大統領となり、親米政権を推進しました。1987年には大地震によって多数の犠牲者がを出し、また、石油パイプラインも破壊されます。

1992年にシスト・デュラン・バジェンが大統領に就任。バジェンは1995年にアマゾンの系争地(石油埋蔵地)を巡ってペルーのアルベルト・フヒモリ政権とセネパ紛争を行いましたが、敗北。また、1993年にはOPECからも脱退します。

1996年にはレバノン系のアブダラ・ブカラムが大統領に就任します。しかし、エクアドルにおける初のアラブ系大統領は奇行を繰り返したために失脚し、1998年に同じくレバノン系のハミル・マワが大統領に就任。マワは10月26日にブラジリア議定書でアマゾン地域を放棄することを認め、1942年以来続いたペルーとのアマゾン地域を巡る国境紛争はエクアドルの敗北という形で幕を閉じました。2000年 1月、マワは、それまでの通貨だったスクレからUSドルに通貨を変更するドル化政策を発表しました。

2000 年9月にマワは失脚し、アルバロ・ノボアが大統領に就任しましたが、政治は安定せず、2003年には軍と先住民組織の支持により、ルシオ・グティエレスが大統領に就任。緊縮財政の下、インフレ率は低い水準で推移し、マクロ経済面では安定しましたが、やはり2005年に失脚しました。

2006 年11月の大統領選挙で、ポプリスモ的な政策に訴えたラファエル・コレアが国民から圧倒的な支持を得て勝利し、大統領に就任しました。コレアは反米を旗印に自主外交を進め、ベネスエラをはじめとする世界の反米政権との友好的関係の構築や、OPECへの再加盟などに尽力します。2008年3月、コロンビアの親米政権がコロンビア革命軍(FARC:反政府武装組織)征討作戦をエクアドル領内で行ったことに反発し、コロンビアに対し両国の外交関係を断絶することを通告し、公式発表しました(アンデス危機)。

2008年9月には、経済格差是正等を柱とした憲法改正案が賛成多数で承認され、公布されます。 2009年4月26日には大統領選挙および議会選挙を含む総選挙が行われ、コレア大統領が得票率50%以上を得て圧勝し、再選されました。新憲法は、社会的な変革や両性の平等、複数民族制などを取り入れています。また、米国の同盟国でなく、自主的な立場であることを明確にしています。なお、日本とは、第二次世界大戦後の1954年に外交関係が再開されています。

最近のトピックでは、2010年9月に、警察関係者による全国規模のストライキが発生し,政府が非常事態宣言を出しています(最新情報は外務省ホームページなどでご確認ください)。

エクアドルの料理

エクアドルは、その地形の多様性から、食文化も地域によって異なっています。また、先住民の食文化と、外来の食文化が融合し、極めて地方色豊かなものになっています。

コスタ(海岸部)では、コメ、ユカイモ、料理用のバナナなどが主食になっています。その他にもアロス・コン・ポジョ(チキンライス)やアロス・コン・マリネーロ(シーフードライス)など、周辺国と似た料理が食べられています。

一方、シエラ(アンデス高地部)では、イモや、トウモロコシを主食とし、牛や豚の肉もよく食べます。シエラの料理で代表的なものは豚肉のフリターダや羊肉のセコ・デ・チーボ、スープのロクロなどの名が挙げられます(詳細は以下)。

以下、エクアドルでの代表的な料理です。

セビッチェ(Ceviche)

セビッチェ
出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%93%E3%83%81%E3%82%A7

エクアドル料理を語る上で、「セビッチェ(またはセビチェ)」は欠かせません。セビッチェは中南米ではポピュラーな料理で、エビや貝などのシーフードを、玉ねぎなどの野菜と一緒に、さまざまな香辛料を混ぜ合わせて作ったマリネのようなサラダです。エクアドルでは、オレンジジュースを用いて作ったり、また付け合わせとして、ポップコーンや炒ったコーンをセビッチェの上に散らしたりします。また、アヒー(aji)とよばれる唐辛子系ディップソースをつけて食べたりします。

セコ・デ・チーボ(Seco de Chivo)/セコ・デ・ポロ(Seco de Pollo)

主にシエラ地方での料理です。セコは、「ありのまま」という意味で、直訳すると、「セコ・デ・チーボ」は「ありのままの羊」、「セコ・デ・ポロ」は「ありのままの鶏」となります。特にセコ・デ・ポロはでよく出される料理です。野菜と一緒に煮込んであり、やわらかくまた臭みが無い料理です。

ロクロ(Locro)

ジャガイモなどで作られる、エクアドルのスープ。チーズやアボガドを入れることもあります。

クイ(テンジクネズミ)

クイ
出典:http://vrania.blog.cz/0912/morcata-povod-morciat

日本では、いわゆるモルモットとして有名なテンジクネズミですが、アンデス地方では山間部を中心に、食用としています。特に、お祭りなどの特別な日に食べられる高価な肉です。

豚の丸焼き(Hornado)

豚をそのまま丸焼きにしたものを、スライスして食べます。主に山間部で、屋台料理としてポピュラーです。ポテトや野菜の付け合わせと一緒に食べます。

コーン

コーンを主食とするだけあり、コーンを用いたいろんな料理があります。例えば、乾燥したコーンを卵・牛乳・ねぎで炒めた「モテ・ピージョ」、粗挽きコーンを皮に包み蒸した「ウミータス」、すり潰したコーンから作る、伝統的な薄焼きパン「トルティーヤ」、トルティーヤをぱりっと揚げたものに. いろんな具をのせた「トスターダ」などがあります。

エンパナーダ(empanada)

具入りのパンまたはペイストリー。名前は、パンで覆うまたは包むという意味のスペイン語「empanar」に由来しています。エンパナーダは、生地またはパン生地を折りたたみ、具を包んで作ります。

エクアドルのエンパナーダはトウモロコシ粉または穀粉で作ります。材料は、マメ、ジャガイモ、カルネ・ギザーダ(carne guisada)と呼ばれる蒸した肉料理、または色々な野菜です。エンパナーダにはまた、地域により異なるアヒーが添えられます。

バナナ料理

バナナの輸出国として有名なエクアドルだけあって、バナナの種類だけで40種類にものぼるそうで、いろんな食べ方があり、特にパタコン(バナナを揚げたもの)や、トストーネス(バナナのフライ)が有名です。

フルーツ

日本ではなかなかお目にかかれなくて、エクアドルでは一般的なフルーツとしては、トマテ・デ・アルボル(木トマト)やナランヒージャ(naranjilla。南米原産のナス科の果物。ケチュア語から、ルロ(lulo)と呼ばれることも。実は直径4~6cmで、ジュースやネクタリン、ジャム、菓子類などに使用します。)などがあります。

エクアドルの貧困事情

エクアドル中銀(2009年)によると、エクアドルのGDPは520億ドルで日本の約100分の1、国民一人当たりGDPは3,669ドル(日本の約10分の1)となっています。前年比でのGDP成長率は、世界的な経済危機の影響もあり、0.36%となっています。

国連開発計画(UNDP)の人間開発報告(2009年版)によると、エクアドルの国民の38.3%が、政府が設定した貧困ラインである月56.5ドルを下回っています。地域で見ると、都市部における貧困層の割合が約25%であるのに対して、農村部は約61%となっていて、とりわけ先住民族の居住地域における貧困率が高くなっています。

もうひとつの貧困の指標となっている貧困指数(NBI:基礎ニーズの非充足度をベース)では、エクアドルは45.8%と、上記の消費・所得による貧困率を上回っていて、エクアドルにおける貧困問題が単なる所得の問題だけではなく、社会階層や居住環境等の問題まで根ざしていることを窺わせます。

(クリックで拡大します)

なお、エクアドルにおける人間開発指数(HDI:人間の生活の豊かさの指標 )は、182カ国中80位となっており、ラテンアメリカ・カリブ諸国の平均よりはやや上回る結果となっています。

エクアドルでの主要な産業は、鉱工業(石油)、農業(バナナ、カカオ、生花)、水産業(エビ)となっていて、そのほとんどが輸出向けとなっています。主な輸出国は、米国、ペルー、イタリア、コロンビア、ドイツといったところです。

エクアドルは農業国ですが、生産が輸出商品作物の栽培に偏っていること、農地の所有制度に問題が残ることから、必ずしも国民の生活・福祉を支えるものとはなっていません。降水量が少ないため農業に適さない山地で主食となる米やトウモロコシを栽培する一方、肥沃な海岸平野でカカオ、コーヒー、サトウキビ、バナナなどの商品作物を栽培するため、輸出に占める農産物の割合が5割を超えているにも関わらず、食糧を輸入しています。人口のわずか1%を占めるに過ぎない所有者が農地の4割を所有し、土地なし農民として働く農民が少なくありません(下記<フェアトレード>を参照。なお、2008年9月に国民投票で承認された新憲法では、大土地所有制を禁止。それを受けて、2009年7月には、2年以上未使用の土地は政府が接収できるとする政令が発効しました。それにより、政府は、企業や大土地利用者が所有している未使用地を小規模農家に配分し始めています。)

2007年に発足したコレア政権下では、貧困対策を政府開発目標のひとつに掲げ、国家開発計画(2009-2013)を策定、農業・保険・教育・雇用・インフラ整備などの分野でのプログラムや事業が計画されています。また、2008年に公布された新憲法では、社会的な変革や両性の平等、複数民族制に加え、貧困撲滅が国家の最も重要な義務のひとつとして掲げられていて、「良い生活のために、国家開発を計画し、貧困を撲滅させ、持続可能な開発と資源・富の平等な再分配を促進する」(第3条5項)と明記されています。

 

フェアトレード

エクアドルは、石油・バナナ・エビ・コーヒーなどの一次産品を輸出して外貨を獲得する一方で、外資導入による開発政策を続けてきました。経済発展の一方で、債務累積や環境破壊といった問題も、近年クローズアップされてきています。エクアドルでも、2000年、石油企業テキサコを相手に、熱帯雨林を破壊し住民の健康を阻害したとして、住民が訴訟を起こしています。同時に、フェアトレードのような、生産者と消費者との新しい関係構築を模索する動きも出てきています。

コーヒー豆の例をとると、1989年にコーヒーの国際割り当て制度が廃止されたのに伴い、生産過剰による価格暴落の影響が生産者の生活を直撃するようになります。コーヒー栽培は天候に左右され、また作付けコストなどを負担しなければなりません。更には、広大な土地を必要とするコーヒー栽培では土地所有の集中化が進む傾向があり、先住民族などの間に大量の零細・土地なし農民を生み出してしまいます。こうした農民が低賃金労働者として、大農園の労働を支える構造が生まれ、同時に、中小規模の農家の破綻や零細農民の貧窮化と、都市への流出を招いてきました。

フェアトレードの一例として、1998年に設立されたインタグ川コーヒー生産者組合(AACRI)では、生産者を支援しつつ、森林を伐採せずに作物を栽培する「森林農法」の普及に努め、有機栽培を進めてきています。ある日本のフェアトレード会社は、AACRIと1999年に取引きを結び、生豆の輸入を開始。この会社は市場の約3倍の価格で買い入れ価格を設定、更には50%の前払い、長期の売買関係、全量の買取りという条件を約束すると同時に、生産者組合の組織強化や開発問題に関する助言と資金援助を実施してきました。その結果、品質向上や生産拡大により日本への輸出は増大し、AACRIの会員も350名に達しています。

JICAの取り組み

エクアドルにおける貧困への取り組みとして、JICA(国際協力機構)の支援によって「難民を含むエクアドル国社会的弱者のための職業訓練強化プロジェクト」が2008年11月から展開されています。貧困層の人々の多くは障害者、女性、コロンビアからの難民などの社会的弱者であり、職を得るための技能がないために貧困から抜け出せない状態にあります。そのため、社会的弱者と呼ばれる人々が職業技能を習得し生計を向上できるよう、エクアドル政府は2007年から訓練コースの受講が可能な社会的弱者を職業能力開発機構(SECAP)に受け入れ、貧困削減への取り組みを開始しました。

プロジェクトでは、女性や障害者、難民など社会的弱者と呼ばれる人々が、SECAPが実施する基礎技能訓練コースで調理、縫製、機械金属、電気、自動車整備、建築の6分野の技術を習得して生計向上を目指します。修了生の中から起業者が出るなど、徐々にプロジェクトの成果が表れ始めています。

訓練コース開始から2009年末までに、調理、縫製、建築の3分野で約700人がコースを受講。プロジェクト終了予定の2011年までの間に、約7,000人の社会的弱者への訓練実施が計画されていて、最終的にはプロジェクトで得られた教訓を基に社会的弱者向け基礎技能訓練コースモデルを開発し、SECAPの全センターに同モデルを普及するための体制が整備されることになっています。

エクアドルのマイクロファイナンス事情

MIXMarketの2009年のデータでは、44の主要マイクロファイナンス機構(MFI)が存在し、それらのマイクロファイナンスの借り手の数は約67万人、ひとりあたり10万円強の融資となっています。

「Microenterprises and microfinance in Ecuador」(2004)のサーベイによると、MFIはキトなどの山地部に多く存在していて、海岸低地は少なめとなっています(1零細事業家あたりのマイクロファイナンス案件数の割合は、山地部の都市では100%を超えるところがあるのに対して、他地域は50%以下)。MFIを利用する目的の約9割は、エクアドルのGDPの26%(UNICEF:2003)を占める零細事業のためとなっていますが、実際にマイクロファイナンスを活用している零細事業家の割合はそれほど高くなく、零細事業者で預金口座を持っている人の割合は29%で、更に、過去1年間に融資を受けた人の割合は16%に留まっています。また、マイクロファイナンスの需要のうち、フォーマルな金融機関による融資で賄われているのは39%とされています。これは、マイクロファイナンスに対する認知度の低さや、零細事業者の安全志向といった面もありますが、同時に、マイクロファイナンスのカバレッジや魅力的な商品がまだ十分でないことが挙げられ、MFIによる、より地方へのリーチアウト、とりわけ金融機関へのアクセスがこれまで不十分であった、女性零細事業者向けの支援の必要性が指摘されています。

(クリックで拡大します)

上図からは、女性や、海岸低地の人の、フォーマルな金融機関の活用の割合が比較的少ないことが分かります。

エクアドルに限った話ではありませんが、MFIの中には顧客の幅広いニーズに応え、かつ顧客が社会・経済的に自立するのを支援するために、マイクロファイナンスを受ける顧客にマーケティングからリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)にいたるまでの教育の提供を実施しているところもあります。

興味のある方は、Kivaフェローによるエクアドルにおけるマイクロファイナンスと教育に関する現地レポートも合わせてご覧ください。

また、現在融資可能なエクアドルの起業家リストはこちらからご覧いただくことができます(タイミングによっては対象者がいない場合もあります)。

エクアドルのKivaフィールドパートナー(マイクロファイナンス機関)一覧

* データは2011年1月現在のものです。
Cooperativa San Jose
Risk Rating (格付け)
Time on Kiva (Kivaとの提携期間) 11か月
Kiva Entrepreneurs (Kivaでの融資者数) 853人
Total Loans (融資総額) $638,900
Portfolio Yield (利息・手数料) 15.20%
Profitability (収益性) 1.5%
Profitability (延滞率) 0.00%
Default Rate (貸倒率) 0.73%
Currency Exchange Loss Rate (為替差損率) 0.00%

The San José Credit and Savings Cooperativeは、エクアドルのボリーバル県の中央山脈のSan José de Chimbo Cantonにあります。この協同組合は設立から45年になり、主に農村部に焦点を当てて活動しています。SBS(エクアドルの Superintendent of Banks and Insurance Providers)の監督下にあります。

<ビジョン>
財務基準を満たし、適切にリスク管理を行いながら、優秀な人材、相応の技術、革新的な金融サービスや金融商品によって、リーダーシップ、競争力、金融の健全性を結合させること

 

Fundacion D-MIRO Mision Alianza
Risk Rating (格付け)
Time on Kiva (Kivaとの提携期間) 14か月
Kiva Entrepreneurs (Kivaでの融資者数) 1,440人
Total Loans (融資総額) $1,276,750
Portfolio Yield (利息・手数料) 27.40%
Profitability (収益性) -2.9%
Profitability (延滞率) 0.33%
Default Rate (貸倒率) 0.21%
Currency Exchange Loss Rate (為替差損率) 0.00%

Fundación D-MIRO Misión Alianza は、エクアドルでは最大の非営利のマイクロファイナンス機関(MFI)で、グアヤキルの港町を本拠地としています。D-MIROは、グアヤキル地域に9つのエージェンシーネットワークを持ち、 計14機関、30,000人以上になる借り手が融資サービスを受けています。

D-MIROが融資を行うのは、さまざまな理由(文化、性別、人種、貧困等)で従来の金融システムから疎外されてきた家族や零細事業主です。NGOのMisión Alianza de Noruega (The Norweigan Missionary Alliance) が、1997年に初めてマイクロクレジットプログラムを設立し、2006年、マイクロクレジットサービスを専門に扱うFundación D-MIRO Misión Alianzaを創設したのです。 D-MIROの顧客の多くは、都市部から疎外された都市近郊部に住んでおり、そこは下水道設備、隧道、舗装道路などの基本的サービスが不足しています。彼らはおよそ200ドルで土地を売り、平均2,500ドルをかけて簡素な家を建てます。 家は、板金、セメント、レンガや籐でできています。 グアヤキルの210万人の住民の4割がそのような状況下で暮らしていると推測され、D-MIROはそのようなリスキーな(一般的に信用度が低い)顧客に対し融資を行う数少ない機関のひとつです。

<ビジョン>
エクアドルのコミュニティを復元するための手段として、信仰生活を促進するイエスキリストの福音をベースに、全国的に組織されること

 

Fundación ESPOIR
Risk Rating (格付け)
Time on Kiva (Kivaとの提携期間) 18か月
Kiva Entrepreneurs (Kivaでの融資者数) 3,224人
Total Loans (融資総額) $1,570,550
Portfolio Yield (利息・手数料) 20.20%
Profitability (収益性) 2.2%
Profitability (延滞率) 0.21%
Default Rate (貸倒率) 0.00%
Currency Exchange Loss Rate (為替差損率) 0.00%

Fundación ESPOIRはエクアドルのNGOで、勤勉に働く女性に特化した融資機関です。Quitoを拠点とし、Kivaと共に活動するAzuay(クエンカ)や、Manabi(Portoviejo)など、全国にいくつかの支店があります。

他のマイクロクレジット機関と違うのは、事業主に対して保健教育や金融教育を実施していることです。リプロダクティブヘルスや栄養効果を理解してもらい、仕事と家庭の目標に焦点を当てています。クエンカのオフィスには診療所もあり、月におよそ300人もの事業主やその家族が利用しています。

ESPOIRは、低所得の女性へ融資を行っています。女性の中には、事業経験がない者もいます。融資条件は、収入を増やすために頑張ること、管理能力や健康状態を向上させること、そして、自身の幸せや家族のために闘う覚悟があるかということです。グループローンが主流ですが、グループローンの実績がある顧客で、事業を維持・拡大させる目的に対する個人ローンも増えています。また、緊急時には、大学費や自宅修理費の融資も行っています。

2008年12月現在、共同銀行1,712の30,902人に融資を行っており、それらのほとんどが女性です。 41,815のローンを実行中で、取扱額は15,284,495.20ドルです。

<ミッション>
エクアドルで事業を行う貧しい女性たちの経済的・社会的向上、健康促進に貢献し、女性や子ども、家族がより良い生活を追い求め、収入を得られるように、マイクロクレジットや教育を提供すること。

 

 

参考文献およびサイト

当サイトに掲載された情報については、十分な注意を払っておりますが、 その内容の正確性に対して、一切保証するものではありません。 なお、記載されている情報の誤りなどがございましたら、お手数ですが info@kivajapan.orgまでご連絡頂けますと幸いです。